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節分とは、季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称である。特に立春の前日が、宮中の追儺会(ついなえ)と結ぶつき、室町時代ころから「豆まき」として、公家や武家でおこなわれるようになった。
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われて、節分の豆まきになったという。
現在では年中行事として、神社仏閣をはじめ、幼稚園では必ずおこなわれるようになった。昔は幼稚園の先生は女性ばかりであったから、鬼役は園長先生、私立幼稚園では理事長先生という。寺院の経営する幼稚園では、理事長先生すなわち住職が鬼に扮するのである。この時ばかりは、住職も形なしである。
三島の町では、寺院で大々的な「豆まき」をする寺院はない。三島で「豆まき」といえば、三嶋大社の「豆まき」に出かけていき、菩提寺の「豆まき」に来る者はだれもいない。だからといって、「豆まき」をしないわけではない。願成寺では昔は先代住職が、今は私がおこなう。翌日、撒いた豆を片付けるのは私の仕事であるから、数が少ないようにも思うが、歳の数だけ食べる豆は確実に増えていく。
ところで、今年は三嶋大社の案内で、節分祭の豆撒きの奉仕を、勤めさせていただくこととなった。ふと、一遍上人の三嶋大社詣で(1286)を思い出した。僧形(黒衣に袈裟を着ける)にての参詣である。
豆撒きの福男は、武士の正装である裃(かみしも)姿であるが、僧侶であるので僧形でのご奉仕を願い出たところ、特別のご許可を賜ったのである。これは大変なことになったと、早速に衣(ころも)を新調した。そして袈裟は我が寺での慶事に着用する芹沢_介の染め袈裟を着けさせていただくことにした(今回で3度目)。芹沢氏の特色である朱色が、花を添えてくれるであろう。
わが願成寺は、代々にわたって三嶋大社の宮司を勤める矢田部家の菩提寺であることのご配慮であろうか。いたく緊張し、ありがたいことである。
明日は、精進潔斎をして、本尊阿弥陀如来さまにご報告して、三嶋大社への参詣となる次第である。
【追儺】
追儺(ついな)とは、大晦日(旧暦12月30日)に疫鬼や疫神を払う儀式、または民間で節分などに行われる鬼を払う行事。儺(だ、な)あるいは大儺(たいだ、たいな)、駆儺。鬼遣(おにやらい。鬼儺などとも表記)、儺祭(なのまつり)、儺遣(なやらい)とも呼ばれる。(ウィキペディア)
【裃】
裃(かみしも)は、江戸時代の武士が登城や公式行事で着用した、肩衣(かたぎぬ)と袴(はかま)が共布(同じ色・柄)で仕立てられた礼装。小袖の上から着用し、肩の張った「肩衣」が特徴。現代のスーツに相当する公服で、麻地に細かい小紋柄が基本。長袴を用いる「長裃」は上流武士の正装。
※ 一遍上人絵伝の写真は、
井原英貴氏がFacebookに投稿された資料をご許可をいただき、
転載させていただきました。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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