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次回配信日は、9月1日です。




     夏風吹く 鎌倉の山々には 山百合が咲き誇る


     阿弥陀如来の真横で「南無阿弥陀佛」と
     その名を口にしていると
     なんとも不思議な心持ちになる


     誰とも知らないこの自分に向けて
     一心に慈悲の気持ちを差し向けってくれることに
     こちらが教えられる

 3年ほどまえから、托鉢をしている。托鉢とは、古代インド宗教における修行者の風習が、のちに彼の地で仏教に取り入れられたもので、やがて中国や日本の諸宗にも伝えられた。
 私に托鉢を始める縁を作ってくれたのは、平成20年7月に遷化された浄土宗僧侶・須藤一道上人だった。亡くなる数日まえまで、上人は浅草寺門前の仲見世通り、高尾山薬王院、芝の増上寺などで共に立つことを勧めてくれ、今にして思うと遺言のように矢継ぎ早に、多くの作法を教えてくれた。そして上人の逝った現在は、自坊と同様の神奈川県にある、鎌倉大仏でひとり托鉢を続けている。

 この鎌倉大仏は、「長谷大仏」「露座の大仏」など、いにしえより民衆の親しみがこもった名称で呼ばれている。国宝に指定されている正式名称は「銅造阿弥陀如来坐像」。像高11.3メートル、総重量は約121トンに及ぶ。建長4年(1253年)に鋳造を始めたことが『吾妻鏡』に記されているから、今年で創建758年ということになる。
 鎌倉大仏の寺号は「高徳院」。鎌倉市街より西方の長谷にあり、南へ下れば江ノ電の踏切を越えて、由比ヶ浜へといたる。そこから国道134号線をさらに西へ向かうと、鎌倉市・西端の稲村ヶ崎がある。海を染める夕陽がことのほか美しい。阿弥陀如来のお座す西方浄土を現世に映したともされるこの場所は、今風に言うとさながらパワースポットのようだと思いながら托鉢をしている。
 幾星霜の風月に耐えて来られた鎌倉大仏の傍らで、「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」と阿弥陀如来の名を口に出して唱え続けていると、何か不思議な気配さえ感じられてくる。

 ところで、托鉢していて常々思うのは、「なぜこんなにも豊かな気持ちになれるのだろう」ということだ。たとえば年配の男性が早足で近づいてきて、「こんな事は生涯にいちどだけだと思う」と自らに言い聞かせながら、多額の布施を鉢に入れてくれたことがある。子供たちが小銭を持って真っすぐにこちらへ向かい、微笑んでくれたりもする。私は網代笠を深く被っているので足元とその周囲しか見えず、お布施の主を気配から察するほかないのだが、それだけによりいっそう、こちらに近づいてくる動きが細かく感じ取れる。
 そんなときは布施をしてくれた多くの人々から、いろいろな気持ちを素直に向けてもらえる。托鉢という行為をしている修行者の私と未知の人たちとのあいだに、共通した祈りの気持ちの交流が、瞬時に生まれるからかもしれない。大げさかもしれないが、互いの善行に希望さえ湧いてくるようだ。そしてこの心の交流は、「六波羅蜜」の教えにも似ていると感じることがある。

 六波羅蜜とは、菩薩がおこなうべき六つの実践徳目のことを指し、その一番目に挙げられている「布施」は、施す者も施される者も本来は空であるとして、執着せず離れるべきとしている。この布施には三つのものがあり(三施)、衣食など物質を与える財施、教えを説き与える法施、畏れを取り除く無畏施、となっている。
 六波羅蜜の二つめは「持戒」で、戒律を守ること。三つめは「忍辱」で、苦難に耐え忍ぶこと。四つめの「精進」は常に仏道を実践することだ。五つめの「禅定」は、瞑想することにより精神を統一させること、としている。そして六つめが「知慧」(般若)。真理を追求し、悟りを完成させよと説いている。六波羅蜜のなかではこの最後の「知慧」がもっとも大切であり、他の五つはこれを得るための準備とされている。
 托鉢という行為はひとときではあるが、布施を受ける側とそれを施す側の両者が、六波羅蜜の「知慧」を無意識に体現しているように、私には思えてならない。

 お寺の心づかいでいつも托鉢終了後に、茶屋でひと休みさせてくれることになっている。木造平屋の店にはみやげ物が並び、軽食をとることもできる。郷愁を感じさせてくれる、何とも素敵な場所だ。阿弥陀如来の功徳なのか、働いている人たちの誰もが、格別に優しい顔立ちで対応してくれる。美味しい飲み物を差し出してくれ、いろいろと雑談を交わしながらの一杯は、これこそ「知慧」の完成かもしれないと思うほどだ。

 国内開教使・桂林寺住職  永 田 英 司








 前回、旧盆を迎えるにあたり、東日本大震災で行方不明の方の死亡届を出すか出さないかの苦悩を伝えた。死亡届を出して新盆を迎えるか、遺体の確認ができるまでは家族の死を受容しないとする、いずれも苦渋の選択であったに違いない。

 今、被災地のお盆の様子が報道されている。寺院や墓地が津波に流されても、その場所は自分たちのお寺でありお墓であって、合掌の場である。墓石が倒れたままであっても流されたままであっても、家族を失ったことの鎮魂であろうか、行方不明の家族の一日も早い発見を祈るのであろうか、また新しい出発の決意の報告であろうか、そこに線香を手向ける人たちの姿を見た。その一人ひとりの「思い」は知るよしもないが、わたくしもともに合掌の真心(まごころ)をささげさせていただいた。
 そこには浄土宗であるとか日蓮宗であるとか、いや仏教であるとかキリスト教であるとか、宗教の種別を考えることはなく、ただただ死者を悼むことと、被災者の皆さまに思いを馳せるのであった。
 この現実を、お釈迦さまは、阿弥陀さまは、法然さまは、キリストさまは、どうようにお感じになられ、私どもにどのように語りかけているのであろうか。私たち僧侶は、そうした仏さまの思いを皆さまにお伝えするのが使命なのかもしれない。しかし、私にはそれが思うようにならない。ただ共に涙を流し、共にがんばる決意するのみである。

 ところで、東京電力福島第一発電所の事故によって避難している人々にとっては、お盆を迎える事情がだいぶ違う。俗に着の身着のまま避難した人たちで、このお盆を迎えることのできない人たちがいることである。基本的にはすべてを残したままの避難であり、その帰宅がまったく許されておらず、お墓参りができないのである。ある程度の一時帰宅で仏壇の位牌を持ち帰った人もあるが、先祖や亡くなった家族との隔離を強いられていると言っても過言ではない。
 緊急避難といって我が家を離れるという相当に過酷なことでも、人間は期限のあることには我慢をすることができるものである。しかし、今、原発事故で避難している大方の人々は、期限のない故郷を離れた生活になってしまったのである。3年後あるいは5年頑張れば、必ず我が家に戻れるという保障は全くないのである。いや一生戻ることはできなく、新たな生活の地を探さなければならないことを意味するのかもしれない。いままでのお檀家さんのために、新たな地に寺や墓地を設け、少なくとも遺骨だけでも運び出さなければならないであろう。墓石とて放射能を帯びていて移設できない状況なのかもしれない。

 生活の基盤から故郷までを奪われてしまった人々のお盆の姿は、報道では伝わってこない。どのような気持ちで合掌しているのであろうか。
 京都五山の送り火に被災地の薪をつかう使わないの騒動は茶番に見えてならない。結局は放射能に汚染された薪を焼くことによって、観光客の減少を危惧した結果に他ならない。500本の薪の焼却がもたらす影響について、詳細なデータを示してこそ中止が受け入れられるのである。
 恒常的なことでないだけに、セシウムが付着していようと炊きあげて欲しかった。それこそが痛みを共有することではなかろうか。決して東日本大震災の被災を自分たちの勝手な尺度で商売と結びつけることは、あってはならないことである。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


増上寺法要









東北地方太平洋沖地震義援金のご報告

 お彼岸のあいだ玄関でお寄せいただきました「東北地方太平洋沖地震義援金」 と 観音堂大祭の経費の一部を、浄土宗を通し見舞金といたしまして被災された方々にお送りいたしました。誠にありがとうございました。

「義援金箱」
      77,303 円
「観音堂大祭経費」
     100,000 円

 

第303回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
8月19日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
常林寺住職 山田 太壱 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
9月16日(金) 同時刻  本法寺住職 清水 俊匡 師

 

福田行誠上人展

 明治の高僧、総本山知恩院門跡、浄土宗管長、増上寺法主を勤められた福田行誠上人展が開催されます。お出かけ下さいませ。

日   時
8月26日(金) 〜 31日(水)
場   所
「しずぎんギャラリー四季」
静岡市葵区追手町1−13 アゴラ7階(静銀呉服町支店)
ギャラリートーク
8月28日(日) 13時30分
講   師
「行誠上人について」 東京 本誓寺住職 福田 行慈
「行誠上人と静岡」   三島 願成寺住職 魚尾 孝久

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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